Handel Festival Japan

Topics

トピックス

2017年12月11日

「出演者・スタッフからのメッセージ」 第2弾 三澤寿喜(指揮者)

出演者の写真

テオドーラのアリア‘With darkness deep as is my woe’の
フル・スコア

「世間の人って皆、耳はあっても、音楽を聴いてはいらっしゃらないのね」Mrs Dews

ヘンデルは約50年もの間、ロンドンの市民に良質な劇場娯楽を提供し続けた。オペラであれオラトリオであれ、ヘンデルの音楽を一貫するのは深い人間愛であり、弱者への共感である。それゆえに、弱者の極限的葛藤を描くとき、ヘンデルの筆は最も鋭く冴えわたる。

テオドーラは信仰を貫いたために最後は死刑に処される。彼女の苦悩は第2部、第2場、牢獄の場面で頂点に達する。彼女は今、抗いようのない絶対的権力者によってあらゆる自由を奪われ、苦悩のどん底にいる。彼女は最早、自己の存在を消し去ってしまいたいとまで思い詰めている。彼女にとってこの極限の苦悩から逃れる手段はもはや「死」のみなのである。
ヘンデルはこのような究極の弱者に心底共感し、最高のアリア‘With darkness deep as is my woe’を生みだした:「深い闇よ、私をすっかり覆い隠してほしい。それがだめならいっそ死を」。簡潔な旋律線の中に凝縮された極限の苦悩。その濃密な表現にはただただ圧倒される。しかし、歌に絡む弦の対旋律は極限の苦悩とはそぐわないほど上品で優雅! 実は、この対旋律は苦境にあってなお失われることのないテオドーラの高貴さを表しているように思える。台本作家のモレールはテオドーラを「A Christian of Noble Birth高貴な生まれのキリスト教徒」としている。ヘンデルは僅か29小節の短いアリアの中で彼女の苦悩のみならず、高貴な家柄という彼女の重要な属性をも重層的に描き切っている。‘simple but deep’「シンプルでありながら深い」。ヘンデル音楽の神髄である。

さて、1750年の初演当時、《テオドーラ》はまったく不評であった。初演時は計3回、1755年の再演時には僅か1回の上演で、ヘンデルの存命中4回しか上演されていない。これはヘンデル・オラトリオの上演回数のワースト記録である(次は《アレクサンダー・バルス》、《スザンナ》、《ソロモン》の5回)。しかし、である。一般聴衆には受けなかったが、聴く耳を持った人々は《テオドーラ》を高く評価し、再演を熱望していた。以下の証言はヘンデルの親しい人物たちが身内に宛てた手紙からの引用である:

証言1=Thomas Harris
「昨夜、《テオドーラ》を聴きました。ほとんどの人には受けませんでしたが、私の感想はまったく違います。私が思うに、《テオドーラ》には見事な技法で入念に作曲された、たくさんの素晴らしいアリアがあります。あなたもきっと私と同じ感想をもつと思います。劇場で会ったDr. FawcettとMr Granvilleも私とまったく同感でした」

証言2=Shaftesbury伯爵
「私は《テオドーラ》を三夜とも聴きました。意を決して断言しますが、それは完璧で、美しく、ヘンデルのこれまでの作品の中でもとてもよく仕上がった作品です。私の知る限り、彼はこの作曲に長い時間をかけました。町の人々は気に入っていませんが、Mr Kelloway [Joseph Kelway]と何人かの優秀な音楽家達が私と同意見です」

証言3=Mrs Delany
「次のレント(四旬節)に《テオドーラ》は再演されないのかしら?」

証言4=Mrs Dews
「Mr Handelは次のレント(四旬節)シーズンにはなにも新作をやらないおつもりでしょうか? もし、《テオドーラ》が再演されれば、今度こそ正当な評価を得るに違いありません。でも、世間の人って皆、耳はあっても、音楽を聴いてはいらっしゃらないのね」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2018年1月14日の東京公演は、世間一般の不評にもめげずヘンデルを支持した当時の人々の期待に応えたいものである。