活動記録
オラトリオ《ベルシャザル》全曲
2017年1月9日(月・祝) 15:30開演予定
浜離宮朝日ホール
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一般S=7500円 A=6000円 学生(当日のみ)=3000円 支援会員S=5200円 A=4200円
*学生券/アレグロミュージックにて電話予約可。チケットは当日渡しとなります。
チケット取り扱い*一般販売開始2016年9月28日より
アレグロミュージック/03-5216-7131
朝日ホール/03-3267-9990
東京文化会館チケットサービス/03-5685-0650
撮影:青柳聡
<ないこと の凄さ>
歌手になってからこれまで、様々な言葉を歌ってきました。
中世のヨーロッパから現代の日本まで、たくさんの言語を。
でも今回の「ベルシャザル」での《預言者・ダニエル》のテクストほど印象的で
特異なものはありません。
空中に現れた《手》が謎の文字を書き、その意味を
バビロニア王ベルシャザルの前で読み解くというシーン。
____メネ メネ テケル ウパルシン____
不思議な響きの連なり。
この言葉を解読し、一語一語、恐ろしい内容を王に伝えるダニエルの歌は
この上なくシンプルな音符で書かれています。
初めて楽譜を見た時は正直、「え?これだけ???」と思いました。
実際に声にしてみると、作曲家ヘンデルがいかに多くの「現場」をくぐってきたか、
わかる気がします。
歌手というわがままな生き物を動かしながら、「劇場」という、
これもまた恐ろしい生き物である空間を最大限に生かし、動かす。
ロンドンにおけるイタリアオペラの黄金期が終わりを告げた時、華麗な舞台装置や
衣装、ケレンの全てを排し、ヘンデルは音楽と言葉だけで「ドラマ」をクリエイトしました。
その世界は、無限の豪奢とも言えるものかもしれません。
忘れられない絵がある。
その絵はアールデコの館の円形の部屋の中央に展示されていた。ちょっと不思議な展示方法だ。カーテンの前に浮かび上がるように吊るされており、タブローの中のトロンプルイユのカーテンと相俟って、幾重もの闇から浮かび上がるようだった。
異様な光景だった。金色に煌めく宴。突然現れた手が空中に赤い文字を描く。息を呑み、身をよじる人々…
私は心臓を掴まれるような恐怖を感じた。まるでこの身が宴席に引きずり込まれ、意味の分からない、だが確実に致命的な宣告を目の当たりにするような感覚に凍りついた。同時に、このデーモニッシュな瞬間に魅了され、この絵の前からしばらく動くことができなかった。
ピエトロ・ダンディーニ『ベルシャザルの饗宴』。東京都庭園美術館で開催されたプーシキン美術館所蔵の「イタリア・バロック絵画展」で観た絵だ。もう20年前の事なのに、鮮烈に記憶に残っている。それがベルシャザルという名との出会いだった。
様々な画家がベルシャザルを描いているが、取り上げる場面は皆一様に、謎めいた手の出現と、畏れに支配された人々の姿だ。このピトレスクな瞬間を、では音楽の筆はどのように切り取るのか?
シューマン『ベルザツァール』は、ハイネの詩による歌曲。僅か5分程のバラードだ。不穏な熱狂にうねる饗宴は、傲慢な王の呼ばわる一言を境に静まり返り、一気にカタストロフィーへと転落する。ダニエルは登場せず、王は訳も分からぬうちに殺される。
まるで卓越した咄家の怪談話を聴くような、知られざる名曲だ。
さて、ヘンデルの話は敢えてせずに措こう。謎の手の出現を縦糸に、バビロン捕囚からの解放や子を案ずる母の想いを横糸に、ヘンデルがどのような壮大な絵巻物を織り上げるのか…それは聴いてのお楽しみ。
「オラトリオ」は「オペラ」とは違い、舞台装置も出演者による芝居も演出もなく、純粋に音楽によってのみ物語が展開してゆきます。その分音楽で表現されるストーリーのドラマ性や登場人物の心情は、聴く者の想像力をいっそう掻き立てます。
毎年、年の初めにすばらしいヘンデルのオラトリオ作品を演奏できることは私にとって大きな喜びです。今年はどんなドラマが見られるんだろうと毎年ワクワクしながら楽譜を開いています。そして今年は「ベルシャザル」。謎の手によって浮かび上がった文字により予言されたベルシャザルの運命。その驚愕の瞬間を描いたレンブラントの絵画のように、ヘンデルの音楽によって雄弁に語られる「ベルシャザルの物語」をぜひ体験しにいらしてください。
私がヘンデル・フェスティバル・ジャパンの合唱団員オーディションを受けたのは約10年前。歌手として上京する決意するきっかけにもなった大切な団体です。ヘンデルが遺したすばらしい音楽遺産を、演奏することによってみなさんと共有できることをこれからも楽しみにしています。
2017年1月9日、浜離宮朝日ホールでお待ちしています。
リヨンの「光の祭典」
私の生活するフランス、リヨンでは毎年12月8日を中心に数日間la fête des lumières 「光の祭典」というお祭りが街を挙げて開催されます。リヨンの中心街全体がイルミネーションで包まれ、ものすごい数の観光客で溢れます。
作品の中心は街の広場、カテドラル、市庁舎といった歴史的建造物で、作品の大きさも半端なものではありません。ただのライトアップではなく物語が投影されるものもあります。もちろん街全体所々にあるわけですからその間は通行止めになり、夕方からメトロ以外の交通機関もストップ、かなりの規模の催しです。こんな大規模な作品をどうやって想像するのだろうかと毎年感心しながら見て歩きます。
ヘンデルの劇作品もどれも長時間の大作です。ベルシャザルは、ヘンデルがジェネンズの1幕の台本を受け取りすぐに作曲に取りかかり、早く続きを書くよう要求したほど気に入ったそうです。そのようなヘンデルの想像力を掻き立てた作品の全体像を見るのを、そして指揮者がどのようなアイデアでそれに応えようとするのか、今から楽しみにしています。
公演前、自席から
「さて今年はどんな役を歌えるのだろう」と、私はHFJの季節が来る度にわくわくします。
ソリストと違って合唱には個々の役名があるわけではありませんが、例えばこの《ベルシャザル》においては、私達はバビロニア人として驚き騒ぎ、ペルシャ人として戦いに臨み、ユダヤ人として歓呼するのです。
このように様々な役柄を、様々に性格の違うヘンデルの曲で歌えること、これは合唱の楽しみです。
そしてその合唱は単なる添え物ではなく、情景を提示したりその場を音楽的に締めくくったりといった役割を負っています。
登場人物たちの織り成すドラマを固唾を呑んで見守りつつ、その場にいる人々として、また時にはただの群衆という立場を超えて、この饗宴に参加できることを楽しみにしています。
懸田貴嗣(キャノンズ・コンサート室内管弦楽団:首席チェロ奏者)
ヘンデル・フェスティバル・ジャパンには、途中お休みした回もありますが、 第一回公演から参加させていただいています。
数々のヘンデルによる大規模作品の通奏低音を経験してきましたが、毎回ヘンデルの音楽がもつ 劇的なエネルギーに圧倒され続けています。
ヘンデル作品の通奏低音はあらゆる多様性に満ちています。
アリアでの歌手と同等の旋律的な魅力、合唱曲のポリフォニックな豊かさと推進力 レチタティーヴォ・アッコンパニャートの激しい感情表現、レチタティーヴォ・セッコの自在な語り口。
初期の作品から晩年の作品まで、通奏低音というパートだけを取り上げたとしても、ヘンデルのつきることのない創意は聴く人だけでなく、演奏するものの心もとらえてはなさないのです。
今回上演する《ベルシャザル》は、1745年ヘンデル円熟期のオラトリオですが、どんなヘンデルの新しいアイディアに出会うことができるのか、とても楽しみにしています。
スフォルツェスコ城・楽器博物館 にて
~フォルテピアノ〈クレメンティ製作〉との共演~より
HFJ専属合唱団発足以来、携わらせて頂いております。
合唱ソプラノ・メンバーの小野綾子です。
当時、大学を卒業しばかりの私はHFJとヘンデルを通してたくさんのことを学ばせていただきました。
そして、ヘンデル・フェスティバルをきっかけに留学に踏み切りました。
現在ミラノ音楽院バロック声楽科修士課程に在学中です。
イタリアの音楽、風に触れ、語学を深く学べる環境に身を置き、言葉を深く知る大切さを感じております。そしてヘンデルが作曲した背景を体感しながら励んでおります。
ヘンデルの多彩な劇的表現を毎回初めて味わうような感動があります。
演技を伴なわないオラトリオですが、音楽効果はその分、深く繊細なものに感じています。
今年度の《ベルシャザル》公演での新たな感動と学びを楽しみにすると同時に、イタリアでの経験が少しでも活きるように努めたいと思います。
写真は、2014年に亡くなられたヘンデルの世界的権威、C.ホグウッド氏を招聘して行われた第7回公演/リハーサル風景
この合唱団には2005年の結成当時から参加させていただいております。元々バロック声楽に興味があったのですが、たまたま音楽情報誌『ぶらあぼ』に合唱オーディションの要項が載っていたので受けてみたのがきっかけです。そこから、素晴らしい仲間たちと出逢い10年以上に渡ってヘンデルの作品上演に携わらせていただけていること、本当に光栄に思います。
私が初めてヘンデルの合唱曲に出会ったのは高校の合唱部1年の時でした。年に1度ある1年生だけのステージで何を歌おうか?となった時に、誰かがどこかからメサイアの『And the Glory of the Lord』の楽譜を持っ てきたのです(笑)私は全くの合唱初心者でしたから訳もわからず歌っていましたが、その時「なんかカッコいい曲だな」と興味を持ったのを覚えています。その後、高校時代にメサイア全曲を歌う機会もあり貴重な経験をさせてもらいました。ですので、ヘンデルとはもうずいぶんと長い付き合いです(^^)
さて、今回の演目『ベルシャザル』ですが、目下楽譜とにらめっこ中です!
ヘンデルの合唱曲は場面に応じてホモフォニーとポリフォニーが効果的に使われ、転調も「え!本当に?」と思うような大胆な箇所もあったりします。
劇的な表現に富むヘンデルの傑作を、ヘンデル研究者である三澤寿喜先生の指揮で、そしてヘンデル作品を愛する古楽オーケストラ、合唱団の仲間と共に歌えることは至上の悦びです。
1月9日、ぜひ会場で我々の熱演を楽しんでいただければと思います。
ヘンデル・フェスティバル・ジャパン、そしてCCCCの今後の活動への応援をよろしくお願い致します。
ダーティントン ・グレートホール
CCCCが創設されて初のミーティングに私は不参加で、ちょうどその前日に、イギリス・ダーティントンのサマースクールにてヘンデルのオラトリオ『イェフタ』(第13回HFJの演目でした)の演奏に参加しておりました。歴史あるダーティントンのグレートホールで、ヘンデルの音楽への誇りをもって奏でる英国の紳士淑女たちにまじって、ラストの感動的なアーメンハレルヤの響きに包まれながら、これからHFJの演奏活動に関わっていくことへの期待が弥が上にも高まっていくのを感じました。CCCCの初ステージ『ヘンデル・オラトリオからの知られざる合唱名曲選』(2005年12月16日、浜離宮朝日ホール)は、その期待に十二分にそして強烈に応えてくれるものでした。一曲一曲の、大胆に変化しながらデリケートな面も見せる表情と、響きの密度の高さに、驚きの連続であったことを覚えています。中でも『ベルシャザル』の「我らが帝国を守護する神々よ」は、まさに異教徒たちの饗宴における熱狂のリズムで異彩を放ち、特に強く印象に残るものでした。『ベルシャザル』の合唱曲は各場面において役を負うものも多く、特に多彩な表現が求められると思います。結成12年を迎えたCCCCは、ヘンデルの合唱曲の劇的な表現の魅力に、ますます捉えられてきているように思います。演奏会当日には、会場にお越しの皆さまとともに、その高揚感の中に身を置くことができますことを、本当に楽しみにしています。
Orgelmakerij van der Putten(オランダ)2004年製作のポジティフオルガンを提供します。
キャノンズ・コンサート室内合唱団にメンバーとして加わった最初期の回を除いて、これまでの公演のほとんどにポジティフオルガンを(時にはチェンバロも)提供してまいりました。ヘンデルフェスティバルジャパンのプロジェクトに、歌い手と鍵盤楽器の技術者の一人二役という、少し特殊な関わり方をしてもう10年ほどになります。 公演前の数日間の稽古中はもちろん、本番当日でも歌っていない時は鍵盤楽器を調律しているという具合なので関係者諸氏からいつも大いに労われていますが、歌い手・鍵盤楽器の技術者の別々の立場からヘンデルの多様な傑作の数々に取り組むことができることを毎回楽しんでいるところではあります。
公演の数か月前に楽譜が届いたら(自分が歌う)個々の合唱曲を確認するより前に、シンフォニーもアリアもレチも、すべての楽曲に目を通してそれぞれの調性をチェックし、そこから鍵盤楽器の調律法の素案を考えるのが、公演曲に対する私の最初のアプローチかもしれません。もちろん調律法は鍵盤楽器の都合だけでは決められませんから、事前に指揮者や器楽奏者に意見をもらったり、実際に稽古に持ち込んでから別の調律法に変えてみたり…。「メサイア」などが特に顕著ですが、ヘンデルのオラトリオの調性の選択・配列から一つのアイディアを導き出すのは一筋縄ではいきません。選択肢は多いようでいてその実かなり狭い道を通らなくてはならないといつも感じたりするのです。
調律法のことでは、今は亡きクリストファー・ホグウッド氏が指揮をした第7回の公演(2010年)のことを思い出します。オラトリオ「陽気な人、ふさぎの人、中庸な人」の第一部と第二部、「聖セシリアの祝日のためのオード」が演奏された公演では、あのホグウッド氏のことだから調律法の選択についても何か斬新な考えをお持ちではと思って事前に尋ねたらそのままこちらが逆質問され、慌ててそこでホワイトボードに数種の5度圏図を描いて「どれが良いと思います?」と選んでもらおうとしたことがありました。あの時は少し特殊だった第一案をあとで修正した記憶が蘇ってきました。
さて、このたびの「ベルシャザル」ではどのような段取りといたしましょうか。
通奏低音奏者は、曲や言葉にふさわしい右手(音数、音域、アルペジオの方向、速度など)を決められるので、 どのように弾くかあれこれ考えている時が一番楽しいです。 演奏会では共演者の呼吸に合わせて和音を奏でる連続です。 特にレチタティーヴォなどは緊張感と、ピッタリと寄り添うことができた時の喜びが交錯しています。 瞬発力と決断力が求められる通奏低音奏者、人生においても同じなのかな?と思ったりもする今日この頃です。
編曲する私
幕間演奏について、今年もオルガン協奏曲から選曲しました。オーケストラとオルガンの足鍵盤を伴う作品で、独奏用に編曲する必要があります。今回演奏する手鍵盤一段、足鍵盤のないオルガンで、この曲をどのようにアレンジしようか?色々考え、曲が持つ雄大な印象を壊さないよう、オルガンの鍵盤をできるだけ幅広く使い、オーケストラとオルガンの掛け合いなどを表現することにしました。 休み時間のひととき、少しだけ本編のオラトリオから離れ、オルガン独奏をお楽しみいただけるよう着々と準備中です。本編では内容の濃さからもグッと集中して聴かれることになると思いますので、幕間ではどうぞ歓談しながらリラックスしてお聴きいただけますと幸いです。
主催:ヘンデル・フェスティバル・ジャパン実行委員会
助成:公益財団法人朝日新聞文化財団 公益財団法人三菱UFJ信託芸術文化財団 独立行政法人日本芸術文化振興基金
協力:東京古典楽器センター(チェンバロ) 石井賢(ポジティフオルガン) Zimakuプラス 池上ルーテル教会 HFJ支援会HANDELIAN
後援:国際ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル協会(ドイツ、ハレ)