Handel Festival Japan

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活動記録

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第15回 ヘンデル・フェスティバル・ジャパン - メイン企画 オラトリオ《テオドーラ》全曲

西暦300年頃、信仰を守り殉教したテオドーラ その悲劇を感動的に描いた晩年の傑作

タイトル画像

曲目

オラトリオ《テオドーラ》全曲

日時

2018年1月14日(日) 15:30開演 20:00終演予定

会場

浜離宮朝日ホール
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チケット

チケット発売=2017年9月20日

作品の概要

ヘンデル自身が「他のどの作品よりも優れている」と評した自信作
1749年(64歳)の作品。情感豊かな独唱と重唱、立体的で奥行きのある四声合唱、簡潔ながら表現力豊かな管弦楽、どれをとっても最高の完成度を誇る円熟期の傑作。ヘンデルは「《メサイア》のグランド・コーラス(=ハレルヤ・コーラス)より、本作第2部終曲合唱He saw the lovely youthのほうがはるかに優れている」とも語っている。第2部、第2場、牢獄に囚われたテオドーラの嘆きのアリアWith darkness deep as is my woeはヘンデル・アリアの最高傑作のひとつであり、第2部、第5場、衣服を交換したテオドーラとディディムスの別れの二重唱To thee, thou glorious son of worthはヘンデル二重唱の最高傑作のひとつ。(三澤寿喜)

あらすじ

テオドーラはアンタキアに住むキリスト教徒。彼女を愛するローマ人将校ディディムスも改宗し、キリスト教徒となっている。
第1部:今日はローマ皇帝の誕生日。アンタキアのローマ人総督ヴァレンスは住民に対して、ローマの習慣に倣って誕生日を祝うよう命じる。テオドーラはそれを拒否し、捕えられる。
第2部:熱狂する異教徒と、それとは対照的に、牢獄で絶望するテオドーラ。ディディムスは友人セプティミウスの助けを得て、テオドーラ救出を試みる。兜を被って牢獄に現れたディディムスはテオドーラと衣服を交換し、彼女を逃がす。

第3部:ディディムスの変装は露見する。それを知ったテオドーラはディディムスを救おうと、自らヴァレンスの元へ赴く。 ディディムスとテオドーラは互いに自らの命と引き換えに相手の助命を乞うが容れられず、二人とも処刑される。

上演時間

第1部=約85分
第2部=約60分
第3部=約55分
(幕間休憩でオルガン演奏を予定)

キャノンズ・コンサート室内合唱団&管弦楽団(古楽)

CANNONS CONCERT CHAMBER CHOIR & ORCHESTRA
HFJ専属のヘンデル演奏の専門家集団。「今や欧州の基準に照らしてもかなりの高水準」と評されている(第13回《イェフタ》公演、『音楽の友』那須田務氏評)。名称由来:ヘンデルが1718年頃に滞在したロンドン郊外キャノンズCannonsに建てられたシャンドス公爵邸の専属合奏団Cannons Concertに因む。cannons

2017年1月9日、浜離宮朝日ホール、《ベルシャザル》公演
撮影:青柳聡

出演者・スタッフからのメッセージ

出演者imageCCCCのホームグラウンド「池上ルーテル教会」。
HFJの発展を静かに温かく見守って来てくれた大切な場所です。

藍原範道(キャノンズ・コンサート室内合唱団、テノール)

新年あけますと、ヘンデルの音楽に浸る時間がやって来ます。これは、2005年のキャノンズ・コンサート室内合唱団(CCCC)の結成以来毎年のことですので、もはや自然な感覚といいますか、逆にヘンデルを歌わずして1年は始まらないといった具合です。

今回の『テオドーラ』の合唱は全部で11曲あります。
どの曲も個性があり、4時間にも及ぶ大オラトリオの要所要所を締める要を担っています。
その中でも、今回特に注目していただきたいのは、第2部終曲の合唱曲『He saw the lovely youth』でしょう。ヘンデル自らが「メサイアのハレルヤコーラスよりも優れている」と豪語したほどの曲です。これを我々がどのように表現し、演奏するか。ヘンデルが語っていたことが嘘ではなかったとお客様に感じていただけるよう、渾身の演奏で臨みたいと思います。

そして、もう1曲は第3部冒頭の合唱曲『Blest be the hand』です。こちらの曲も素晴らしい大曲なのですが、テノールにとっては音域的に非常に難しく、気が抜けない曲です。2005年の合唱団結成記念コンサートの時にも取り上げて演奏したのですが、その時はオルガンとチェンバロ、チェロの伴奏による演奏で、水越哲さん、福島康晴さんという二人の素晴らしい歌い手に挟まれて死に物狂いで歌ったことが懐かしく思い出されます。今回はフルオーケストラでの初めての演奏のため、どのような響きになるのかとっても楽しみです。
ソロ、重唱、オーケストラの響きと共に、合唱の活躍にも耳を傾けていただければ幸いです。

皆様のご来場をお待ちしております!

出演者image

卓上の桔梗ヶ原ワイン

井手守(キャノンズ・コンサート室内合唱団:バス)

ヘンデル・フェスティバル・ジャパン(HFJ)と私 ~ヘンデルの好きなもの~

 オーディションを経て、2008年1月が加入後初舞台であった。ちなみにその時の演目は《戴冠式アンセム》であった。それから早いもので10年が経とうとしている。
当時は学生時代から埼玉県ふじみ野市に居を構えていたが、7年程前から故郷の長野県塩尻市で暮らしている。
塩尻は長野県の中部に位置し、周囲を山に囲まれた盆地で、夏は暑く冬は寒い所である。また、朝晩の寒暖差も大きいので、その様な気候を生かした農産物も豊富な土地である。
特産品のひとつに、葡萄がある。市内には葡萄園が沢山あり、ぶどう狩り等ができる観光農園もある。また、全国的に見ても珍しいとされる中央本線塩尻駅のプラットホームの葡萄棚は、私が子供の頃には既にあり現在も栽培されている。秋になると辺りには葡萄の甘い香りが漂い、季節を感じるものである。

 ワイン用の葡萄も栽培が盛んで、ワイナリーも点在している。塩尻一帯で獲れた葡萄から醸造されたワインは、桔梗ヶ原ワインと呼ばれ流通しているので、ワイン通の方はもちろん、そうでない方も一度は見たり聞いたりした事があるかも知れない。ワイナリーを見学するツアー等も行われていて、県内外から多くの観光客が足を運ぶ。

 先日、オラトリオ《テオドーラ》の合唱稽古が東京の池上ルーテル教会であり上京。指揮者でHFJの実行委員長をなさっている三澤寿喜先生から興味深いエピソードを伺うことができた。実は、三澤先生も塩尻の隣、岡谷市のご出身。塩尻の事もご存知である。

三澤先生 「井手さんは塩尻にお住まいでしたね。」

 私    「はい。」

 三澤先生 「塩尻はワインが有名ですが、実はヘンデルはワインが大好物で...」

 私    「(やや食い気味に)そ、そうなんですかぁぁぁ!」

 私はその時、不思議な縁の様なものを感じずには居られなかった。日本にも、世界にも美味しいワインは沢山存在する。ヘンデルが現代に生きていたら、桔梗ヶ原ワインをおすすめしてみよう。このエピソードでヘンデルが少し身近に感じられた。

 ここまでもっともらしくワインの事を語ってきた私であるが、アルコールに弱いのは周知の事実。私はホットワインか、ぶどうジュースで乾杯するしか無さそうだ。
今夜も冷え込みが厳しくなってきた。よし、ホットワインを作って飲むとしよう!

 毎年演奏に携わり、ヘンデルの素晴らしさを肌で感じ、お客様と共有できる事は至上の喜びである。今回もどんな“化学反応”が起こるだろうか?とワクワクしながら譜読みしている。

出演者image

2017年12月17日、第15回HFJ、企画1、講演会『《テオドーラ》の魅力』

勝山雅世(オルガン)

CCCCが発足したときのコンサートで、私も初めてこの団体で演奏いたしました。もう十数年経ちます。

ここで合唱練習の一コマをご紹介いたします。
まず私は練習の時から、本番で演奏する楽器で伴奏ができます!!これはかなり贅沢なことで、団員でありオルガンの持ち主の石井氏のおかげです。大変感謝しています。

そして練習。三澤マエストロから曲についての説明や、どのように演奏するかの指示が飛びますが、マエストロが「私の大好きなところはね」とおっしゃるとみんなニンマリ、今回も来たか!という笑み。オーケストラの練習も含め、この言葉を何回聞くことでしょう。このマエストロの溢れんばかりのヘンデル愛が、みんなを突き動かす原動力なのではないかと思います。私が大好きな瞬間です。 今回もすでに合唱の練習は始まっていて、もちろんこのお言葉、出ました!!

写真は12月17日の講演会での三澤氏。この日も「ヘンデル最高のアリアの中の一曲です」と紹介されていた作品がありました。さてどれでしょうか?! 「テオドーラ」どうぞご期待ください。

出演者image

テオドーラのアリア
‘With darkness deep as is my woe’のフル・スコア

三澤寿喜(指揮者)

 
「世間の人って皆、耳はあっても、音楽を聴いてはいらっしゃらないのね」Mrs Dews

ヘンデルは約50年もの間、ロンドンの市民に良質な劇場娯楽を提供し続けた。オペラであれオラトリオであれ、ヘンデルの音楽を一貫するのは深い人間愛であり、弱者への共感である。それゆえに、弱者の極限的葛藤を描くとき、ヘンデルの筆は最も鋭く冴えわたる。

テオドーラは信仰を貫いたために最後は死刑に処される。彼女の苦悩は第2部、第2場、牢獄の場面で頂点に達する。彼女は今、抗いようのない絶対的権力者によってあらゆる自由を奪われ、苦悩のどん底にいる。彼女は最早、自己の存在を消し去ってしまいたいとまで思い詰めている。彼女にとってこの極限の苦悩から逃れる手段はもはや「死」のみなのである。
ヘンデルはこのような究極の弱者に心底共感し、最高のアリア‘With darkness deep as is my woe’を生みだした:「深い闇よ、私をすっかり覆い隠してほしい。それがだめならいっそ死を」。簡潔な旋律線の中に凝縮された極限の苦悩。その濃密な表現にはただただ圧倒される。しかし、歌に絡む弦の対旋律は極限の苦悩とはそぐわないほど上品で優雅! 実は、この対旋律は苦境にあってなお失われることのないテオドーラの高貴さを表しているように思える。台本作家のモレールはテオドーラを「A Christian of Noble Birth高貴な生まれのキリスト教徒」としている。ヘンデルは僅か29小節の短いアリアの中で彼女の苦悩のみならず、高貴な家柄という彼女の重要な属性をも重層的に描き切っている。‘simple but deep’「シンプルでありながら深い」。ヘンデル音楽の神髄である。

さて、1750年の初演当時、《テオドーラ》はまったく不評であった。初演時は計3回、1755年の再演時には僅か1回の上演で、ヘンデルの存命中4回しか上演されていない。これはヘンデル・オラトリオの上演回数のワースト記録である(次は《アレクサンダー・バルス》、《スザンナ》、《ソロモン》の5回)。しかし、である。一般聴衆には受けなかったが、聴く耳を持った人々は《テオドーラ》を高く評価し、再演を熱望していた。以下の証言はヘンデルの親しい人物たちが身内に宛てた手紙からの引用である:

証言1=Thomas Harris
「昨夜、《テオドーラ》を聴きました。ほとんどの人には受けませんでしたが、私の感想はまったく違います。私が思うに、《テオドーラ》には見事な技法で入念に作曲された、たくさんの素晴らしいアリアがあります。あなたもきっと私と同じ感想をもつと思います。劇場で会ったDr. FawcettとMr Granvilleも私とまったく同感でした」

証言2=Shaftesbury伯爵
「私は《テオドーラ》を三夜とも聴きました。意を決して断言しますが、それは完璧で、美しく、ヘンデルのこれまでの作品の中でもとてもよく仕上がった作品です。私の知る限り、彼はこの作曲に長い時間をかけました。町の人々は気に入っていませんが、Mr Kelloway [Joseph Kelway]と何人かの優秀な音楽家達が私と同意見です」

証言3=Mrs Delany
「次のレント(四旬節)に《テオドーラ》は再演されないのかしら?」

証言4=Mrs Dews
「Mr Handelは次のレント(四旬節)シーズンにはなにも新作をやらないおつもりでしょうか? もし、《テオドーラ》が再演されれば、今度こそ正当な評価を得るに違いありません。でも、世間の人って皆、耳はあっても、音楽を聴いてはいらっしゃらないのね」
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2018年1月14日の東京公演は、世間一般の不評にもめげずヘンデルを支持した当時の人々の期待に応えたいものである。

出演者image

photo:
Makoto Nakashima

阿部早希子(ソプラノ:テオドーラ役)

 ヘンデルの作品を演奏するにあたっていつも感銘を受ける事は、登場人物の人物像や感情の変化の様子が繊細に、また鮮明に音に紡ぎ出されているところです。そこには台本から読み取れる人物像がより深く、より豊かに、生き生きと描き出されています。

信仰を曲げないのならば、死を許されず、男たちから辱めを受ける運命を知らされるテオドーラは、それでも信仰を曲げない強さを持ち合わせつつも不安に怯え、どこかあどけなさを残しています。しかし愛する人に救い出され、辱めを受ける運命から逃れられた彼女は、今度は愛する人を救出するために死の待つ運命へ自らの身を投げ出します。
そこにはもうかつてのあどけなさはなく、信念を持って運命を受け入れる強くたくましい女性へと変化したテオドーラの姿が描き出されているように思います。

《テオドーラ》は間違いなく悲劇であるのに、大きな悲しみや苦しみのうちに幕を閉じるオラトリオではなく、二人が死にゆく二重唱では、純粋なる信念を貫き通し、愛する人と死にゆくことへの静謐な幸せすら感じさせます。

このオラトリオはテオドーラの愛と信仰の凄みと同時に人間の愚かさや弱さをも描いた、人間の尊厳への愛に溢れた賛歌のような気がします。

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撮影/青柳聡